現在の鍼灸は、おおきく二つに分類できます。
①「痛み」や「コリ」の解消を主な目的とした現代医学的鍼灸(対症治療)
②全身的な治療を目的とした古典的鍼灸
①が圧倒的多数であるため、「痛み」や「コリ」のためのものと思われがちですが、鍼灸の本質は「生の根本」*である「気」をめぐらすことにあります。
*『荘子』外篇・知北遊「人之生、気之聚也。聚則為生、散則為死(人の生、気の聚れるなり。聚れば則ち生と為り、散ずれば則ち死と為る)
そのために、当院では日本の伝統的な古典鍼灸の井上系経絡治療を行っております。
気=生の根本
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気の滞り=病の本体
↓
全身的な治療=気をめぐらす=根本治療
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自然治癒力の向上
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諸症状の改善
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病の予防・体調の維持
「病の本体」である「気の滞り」がやわらげば、様々な症状が全体的に改善していくはずだという考えのもと、「生の根本」である「気」をめぐらすことを主眼とした治療をしていきます。実際に諸症状が改善するという結果からみて、「気」がめぐることでその人の持つ回復力(自然治癒力)が高まり、自律神経の変調や心身のバランスが整っていると言えるでしょう。また、長く治療をされている方の多くは、「体も軽くなるが、なによりも気が楽になる(気のせいとはよく言ったものだ)」「疲れにくくなった」「いつもよりも頑張れる」「浮き沈みが減った」「カゼをひかなくなった」「顔色(心)が明るくなった」「肌つやがよくなった」など調子のよさを感じられることから、免疫力の向上や体調の維持にも寄与していることは疑いようもありません。
こうしたことから、鍼灸による「気」をめぐらす治療は病名の有無やその未知と既知、病の多寡、それらの軽重に関わらず、また施術する者と受け手の双方が見えていない範囲にも影響が及ぶため、その人のすべてが治療の対象になっているということが言えます。そのため、カイロの治療効果をより高めることもできますし、また相乗効果も期待できます。
このような時に
◆現代医学では原因不明とされてしまう
*病院の各科をたらい回しにされるだけで有効な手立てのない不定愁訴
*気のせい、歳のせいなどと取り合ってもらえないような症状など
*何が原因かわからないために、まったく改善の足がかりがつかめず、極度の不安にさいなまされ、気づけば病名や原因を必死になって探している
◆現代医学では特別な治療法がなく対症治療により経過観察するしかない疾患や症状
*最近では、新型コロナ関連の症状(嗅覚・味覚異常、ブレインフォグ、倦怠感、疲れやすい、精神疲労など)があります
◆手術前の準備、術後の回復、薬物療法の副作用の軽減や継続のための体調管理
◆勉強や仕事、音楽、芸術、スポーツでの集中力や創造力の向上(スポーツ選手や芸術家などの専門家を含む)
◆日頃の体調管理(風邪やインフルエンザなどの予防、心身のリフレッシュ、多忙な時期を乗り切るためなど)
*上記以外にも気になることがありましたらお尋ねください
◆そもそもどこに相談してよいのかわからない、あるいは、こんなことはなかなか人に言えないことを抱えている
*上記したすべてでお悩みの場合にも該当しますが、特に口にするのが恥ずかしい、はばかられる、人を選ぶといったことから、言えば気にしすぎと否定されたり、嫌悪されたり、精神的におかしい(狂人)と思われるといった悩み事も少なくはありません
*例えば亡くなった人や動物(実際の例)、魑魅魍魎の類(実際の例)との関係(憑物を含む)、予知や人や物事について多くを感じ取ってしまう能力との兼ね合いなどが挙げられます
こんな方に
なかなか治らない様々な症状にお困りの方に
人は、個人差はあるものの、様々な症状を併発していることが常です。現代医学では個別に治療していくため、いくつもの病院に通院しなければならず、大変な思いをされている方も多いかと思います。
鍼灸では、「生の根本」である「気」をめぐらせ、「病の本体=諸症状の根本」である「気の滞り」をやわらげる治療をしていくため、それらすべてが対象となります。
したがって、「痛み」や「シビレ」、「こり」はもちろんのこと、頭痛、冷え、のぼせ、便秘、下痢、睡眠障害(不眠や中途覚醒、多夢、悪夢など)、慢性疲労(倦怠感)、食欲不振、花粉症、アトピー、喘息、生理に関する不調、更年期障害、精神疾患など、挙げればきりがありません。このほかにも、風邪やインフルエンザなどの急性の疾患、現代医学では特別な治療法がなく対症治療により経過観察するしかない疾患(手足口病やロタウイルス感染症など)、小児の諸疾患(夜泣きやぐずり、かんしゃく、病弱、チックなど)、産前産後(妊娠中のつわり・逆子や安産、産後の肥立ちなど)や不妊(男女共)など、その適応は多岐にわたります。
様々な症状に悩まされている方に、なかなか治らずお困りの方に、いっぺんに治したい方に、根本から治していきたい方に、鍼灸治療を取り入れられることをお勧めいたします。
前向きになれない方に
「同じ場所」、「同じ物事」、「同じ出来事」、こういった「同じ何か」は、いつも同じように見え、感じられるわけではありません。ある歌の歌詞に「同じ空がどう見えるかは心の角度次第だから」とあるように、その時の心身の有り様によって、ずいぶんと違っていることは誰しもが知っていることでしょう(言うまでもなく、それが「気の持ちよう」で変わるような、そんな簡単なものではないことも痛いほど分かっていることでしょう)。
疲れた体、満たされない心、そうした抑圧された心身が、「気が進まない」、「前向きになれない」、「悲観的になる」、「不安で仕方がない」、「気が滅入る」、「落ち込む」、「いつもなら気にもとめない些細な事にいらだつ」、「まぶしさにたえられない」、「暗い方がいい」、「何も考えられないし考えたくもない」などなど、否が応でも人を後ろ向きにさせるのです。
難しいことは抜きに、鍼灸の効果は「気がめぐる」ことで体調が今よりもよくなるということです。「世界は自分」であり、「自分の調子さえよくなれば世界は変わる」ものです。どうにもならない周囲のことですら、少しは変わることでしょう。
人生をより楽しいものにしたい方に
定期的に治療されている方の多くは、主訴の改善はもちろんのこと、同時に日々の疲労を回復して心身の安定をはかることにも目を向けられています。
体調がよくなると、思考力や集中力が高まり、仕事や勉強、家事、芸術、趣味など、様々な場面でよい結果が生まれます。また、その日の調子で結果が左右されるスポーツの場面でも同様です。受験の成功のためや、スポーツで最大限に力を発揮できるよう定期的に治療される方も少なくありません。
不調の本質を見失っている方に(病名にとらわれている、ちょっとした不調に過敏になってしまう)
ここはかなり厳しい書き方になります。
病名は、総体としての病状を捉えたものではなく、そのごく一部を切り取って付けられた便宜的な呼称に過ぎません。
しかし、病名がついたとたんに、多くの人はその病気を受け入れ、全体を見失うと同時に、その病人と化してそれらしく振る舞うようになるのではないでしょうか。
自分は、あの子は、〇〇病だからと、自ら病名の牢獄に囚われてしまうと、そこから抜け出すことは、容易ではなくなります。よくある高血圧や高コレステロール、アレルギーはもちろんのこと、特に精神疾患や今はやりの発達障害(非常に悪い呼称で、見方を少し変えれば、ある能力が突出したすごい人ということになるわけです。が、そう見るときっと都合が悪い人も多くなるのかもしれませんね)などは目に余るものがあります。病気を受け入れるということ、もっと広く言えば、何かの知識を受け入れることは、その中で生きるということなのです。
体調の善し悪しの判断は、当の本人が勝手にすることですが、特に幼時にあっては、両親、祖父母、友達の親、近所の人、学校の先生など、周囲の大人が代行するものでしょう。もし、その中に神経質な大人が一人でもいるようであれば、注意しなければなりません。きっと周囲を巻き込んでことさらに騒ぎ立てて本人を無理にでも病人に仕立てあげようと脅してしまうからです。もともと無頓着だった本人も、神経質な周囲によって不安を植え付けられ、ほどなく本式の病人になってしまうことも少なくありません(まして病名がつけば、もうほとんど逃げられないでしょう)。ひとたび脅しに屈したら最後、不安の芽は事あるごとにすくすく育ち、わずかなことにも過敏になる神経を立派に備えた大人がまた一人できあがってしまうことになります。
確かに、不調の原因が何かわからないために、まったく改善の足がかりがつかめず、極度の不安にさいなまされ、気づけば病名や原因を必死になって探しているということはよくあることですし、その気持ちは否定しません。しかし、冷静になって考えてみてください。はっきりとした病名がつけられない、原因不明ということは、現代医学から診た限りではまだ心身に確たる病変が認められないとお墨付きをもらったことになるわけですから、本来なら喜ぶべきことなのではないでしょうか。現代医学に見放された、自分はもうどうしようもないのだと、悲嘆に暮れるのは倒錯としか言いようがありません。
周囲や自身の心持ちにもよりますが、自然にして病院に駆け込まなければ病人にされることもなることもありません。人は病気喧伝や予防・早期発見・早期治療などといった情報に不安を煽られ、病を恐れるあまり、わざわざ微に入り細に入って病を見つけ出そうと必死になってしまっているように見えます。
80歳を過ぎても毎年、がん検診、見つかれば、体力が許す限りは手術や抗がん剤治療。いわゆる進行の早いものでなければ、寿命が先かがんが先かという領域に達しているでしょうに。真面目だとか、きちんとしているとか、健康に気を配っているということとは程遠いことではないでしょうか。
不調をいちいち細かく区分して、わざわざ個別に対症治療をすることは、もうこれしかないという時の最終手段であって、そうしょっちゅうするものではないでしょう。簡単に病名をつけることは、いくつもの病気を抱えた迷える病人をただいたずらに作るだけです。
病名がつかないまでも、ちょっとした不調、例えば咳や鼻水、熱、腹痛、下痢などは比較的よくあることでしょう。風邪なのか、インフルエンザなのか、はたまたコロナなのかと心配になるのでしょう。そこまで考えなくとも、ちょっとでもこうした症状が出たら、薬をもらって早く止めないと、となることが多いのではないでしょうか。特効薬がなくただ治るのを待つよりほかなかったコロナでさえ、多くは自然と治っていったわけですから、だいたいの不調は休息して自然治癒力にまかせて回復させればよいはずです。もちろん、人にはすべて事情があって、家事を頑張っている方、勤めている方、学校に通いたい方などなど、「とにかく止めないとならない」、「だから止めたい」となるのでしょう。本来はそうせざるを得ない社会のあり方を問わなければならないわけですが、同時に、止めることを繰り返すうちに、いつの間にかちょとした不調に過敏になって、あるいは、認識がねじ曲がって*、「休めば治る」ようなものですら、「すぐに止める」、そして、「すぐに止められる」と思い込んでしまっていることに大きな問題を感じます。また、本来なら寝込むほどの状態にも関わらず、薬によってただわからなくなっているということすら考えることなく、治ったものと判断してさらに無理を重ねていることも看過できません。そうなった理由、つまりそこに至るまでの経緯、もっと言えば、自分と向き合う機会が奪われ、ただただ心身を酷使し続けるという、恐ろしい日々を過ごす人のなんと多いことでしょう。そうして、数年後、数十年後、もうこらえきれなくなった心身は爆発し、あきらかな病変を伴う本格的な病気へと成長をとげることになるでしょう。目先のことで生きていくのがやっとということは、私も同じですが、ほんの少し、少しだけでいいので、自分に目を向けていただきたいです。正直、危機感しか覚えません。
*ちょっとした不調は、「あれ(が原因)だな」と直感することも多いのではないでしょうか。長いこと寒いなかにいた、薄着で風にふかれ続けてゾクゾクした、寒暖差にやられた、あの無理がたたった、寝不足が続いた、嫌なことがあったなどと。あるいは、家族や仲間うちで、風邪やインフルエンザ、コロナなどを罹患したと思われる時に、何某は「脳天気だから」「ストレスフリーだから」、そのために「元気なんだよ」、だから「うつらないんだよ」とか互いに言い合ってもいるでしょう。簡単に言えば、元気がないから不調になったんだと、とってもよくわかっているわけです。しかし、悪化するや急に菌だウイルスだ、アレルギーだ、高血圧だと問題がすりかわっていってしまう。そして、市販薬だ病院だと話が急カーブしていく。西洋医学の治療(ワクチンや薬、手術など)が対症療法と言われる理由でもありますが、外敵や病変は、結果であって原因ではありません。原因は、そこに至る経緯やきっかけであり、その受け手である自分自身が弱った時の反応ですから、初期に感じた直感をもっと大切にしていただきたいと思います。さらにそこから、休息、体を温める、ストレスを発散する、運動をする、食事や睡眠、人間関係を見直すなど、原因から考えられる適切な対処をしてください。それを一緒に見つけることも私どもの仕事ですから、不安があったりわからない時は遠慮なくご相談ください。
東洋医学には、「うつる」という原因論がほとんどなく、外の影響は風雨寒暑の自然環境や人間関係としてみなしますし、なによりも病の本質は自分(の「気」の滞り)にあると考えます。なので、コロナがはやる以前は、高熱やインフルエンザなどで寝込んだ時には、よく往診したものです。「うつったらどうするのですか?」という心配は無用、繰り返しになりますが、「うつる」という考え方がないからです。故にコロナ禍にあっても長らく来院している方とは治療中に互いにマスクをすることもなく、また「うつしあう」こともありませんでした。「病気を受け入れるということ、もっと広く言えば、何かの知識を受け入れることは、その中で生きるということ」とはこうしたことでもあるのです。
病名がつくことではじめて現代医学の病となることを、冷静に考えていただきたいと思います。
また、不調それ自体では、不調の域を出ないのですよ。
そして、不調を全体的に捉えて治療していけるのが鍼灸(東洋医学)なのです。
私たちは、病を「正しく恐れる」とするならば、恐れる前に、できるだけ元気でいることです。そのために日常のことに気を配ることで事前の対処を継続していく、それが最大の予防と言えるでしょう。まだ起きてもいない病気のことを恐れ、一生懸命に何かをするのならば、努力するべきは定期的な検査やワクチン接種などではなく、自分の身の回りのことであるのはあきらかでしょう。それでもうまくいかないときに、またさらにしっかりと備えたいときに、鍼灸という選択も視野にはいることでしょう。
「何も恐れることなく」、「何も気にしない」、「何も気にならない」、「どうにかなる」と思えることが元気な状態であり、一番であることは言うまでもありません。
妊娠中や小児にも
鍼や灸には、お年寄りがするものというイメージがあるようですが、実際には違います。妊娠中でも産まれてすぐの赤ちゃんでも治療は可能です。
妊娠中では胎児の順調な成長をはじめ、母体の安定と安産、産後の肥立ちのために、小児にはより健やかに育つために新生児から有効な手段となります。また、互いが心身の状態を常に感じとり、影響し合っているため、相互の病因ともなり得ます。このため普段から体調を調えることには大きな意味があります。
症状で言えば、妊娠中では、風邪やインフルエンザなどの投薬不可の症状、お腹が張る、腰が痛い、冷える、むくみ、だるい、つわり、逆子、切迫早産、難産、予定日超過など、小児では、夜泣き、寝ない、かんしゃく、食欲不振、吐きやすい、風邪をひきやすい、アトピー、アレルギーなどを挙げることができます。
自分を大切にしたい方に 一歩先へ
「自分を大切にすること」は、健康でありつづけることにすべてを注ぎ込むことではなく、まして「健康でなくてはならない」「病気になってはならない」というような半ば脅迫的で病的な健康志向のことでは決してありません。私たちは、健康のために生きているわけではありませんから。また、無理をして「楽しむ」のでも、「豊かに」するということでもありません。
私は、「自分を大切にすること」は「相手を大切にすること」であり、また「丁寧に生きる」ことに通じていると思っています。そして、ひとりひとり生まれた時から同じ心身、環境が与えられているわけではありませんから、「生き方」は一様ではありません。時に心をすり減らし、体を酷使することも、ひとつの「生き方」としてあるでしょう。また、何もかもを投げ出すこともあるでしょう。その時々によっても「生き方」は変化していくことでしょう。ただ、常に大切にしたいのは「自分」です。生かすも殺すも、「自分」次第、自戒を込めて「自分を大切に」。
縁ある方とは、こうしたことも一緒に考えてゆけたらと思っております。
鍼灸は、どこか冷たい対症療法とは違って、「人の生活に寄り添ったもの」と言えるのかもしれません。あなたが一時的に抑えたり回避することを越えて、その先に進もうとする時、きっとその一手段となり得るでしょう。
すべての方に 〜生活の一部に鍼灸を〜
「生き抜くための自分への努力」は、なにも一流のスポーツ選手や一部の富豪だけのものではありません。彼等がその重要性を誰よりも熟知し、実践しているだけです。翻って私たちが「自分に目を向ける」時、目立った病気がなくとも幼時より鍼灸を取り入れるとよいでしょう。なぜなら、「ゆとりある心」と「健全な体」こそが資本であり、もっとも大切だからです。
治療について
「鍼は痛く」「灸は熱い」ものではありません
鍼は痛いもの、灸は熱いもの、そうでないと効果がないと思われている方も少なくありません。井上系経絡治療のそれは、そういったイメージとはおおきく異なります。
◆鍼:接触鍼という皮膚表面に触れる鍼法を主としており、痛みはおろか、こちらが黙っていれば、治療後にいつ鍼をするのですかと言われてしまう始末です。
◆灸:主に知熱灸という熱さを感じたら取る方法で行いますので、がまんする必要がなく、やけどの心配がありません。
診察
①まずは問診からはじめます。お困りの症状(いくつでも)について、「どのようなもの」か、朝夕や天候により変化するのかなど、具体的な様態にはじまり、「いつ」「どのような状況で」起こり、「これまでの経過」はどうか、詳しくうかがいます。そのうえで、日常の食事や睡眠、大小便などの状態を確認します。
②次に脈診です。これは東洋医学独自のものでご自身では感じられない、より深い体の状態を診る診察です。
③問診と脈診の結果を総合して、證(証、ショウ)という診断を立てます。この際、問診から得られた病證と脈診から得られた脈證の一致不一致から予後も診ます。
治療
證にもとづいて、全身的な治療を行っていきます。
①まず手足にある重要なツボを選んで進めていきます。これを本治法といい、全身治療の根幹をなすものです。上記した接触鍼にて行います。
②次いでお腹のツボに知熱灸、座って首から肩背への全体的な鍼と数か所の知熱灸、うつぶせで背中から腰への全体的な鍼と数か所の知熱灸とい手順になります。
③このほか、必要を認めた場合に、局所への治療をしていきます。
鍼灸では難しいと診断される場合には
◆難しい状態とは
鍼灸では、診断により病の軽重だけでなく、予後も判断します。その中で、難しいと診断される状態とは、診察により予後不良と判断される病態を指します。
鍼灸の診断は、問診から得られた病證(病態)と脈診から得られた脈證(病態)を勘案してくだします。少し詳しく言えば、病證から想定される脈状(脈の状態)と脈證(実際の脈状)との一致不一致(順逆関係)を確認します。両者が一致していれば順、不一致であれば逆と判定します。順であれば、症状がどんなに劇烈であっても基本的に予後が良いと判断され、逆であれば予後不良となります。
◆難しいと診断された場合
予後不良の場合でも、鍼灸治療の継続により少しずつ改善していくこともありますが、まずは現状維持(変化しない)、あるいは悪化の速度を緩めることが目標となります。鍼灸の継続は、どんな場合においても自然治癒力を助けるという点において意味があるものの、すべての不調の改善は不可能です。
鍼灸では予後不良であっても、他の治療により改善が見込まれると判断される場合には、すみやかに提携する治療院を紹介いたします。
特に予後不良と判断される「痛み」「シビレ」は、当院のカイロプラクティック治療を受診いただきます。
*「当院について(施術者・吉岡・いきさつ)」でも書きましたが、山田のヘルニアの時には、症状と脈状が一致しない予後不良の状態であったため、顧問に治療を依頼しました。ただ、ヘルニアは全快したものの、脈状の変化はありませんでした(今も継続中)。鍼灸では症状の中に肥痩も含まれており、それと脈状の関係も重要視します。その点で言えば、依然として肥痩と脈状の不一致の状態、すなわち予後不良の状態が続いているため、鍼灸の継続は必要と判断されます。これまでも同様のケースがありましたから、この点から見ても「カイロと鍼灸による総合的かつ相補的な治療」には意味があると考えております。